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ホソダユウヘイのブログです。18時頃更新します。

23歳。最新作のポケットモンスターの映画を見てきた。

劇場版のポケモン最新作を見てきました。

恐らく、ジラーチあたりぶりに劇場に足を運んでポケモンを見ることになります。いや、いつのまにポケモンって僕の生活から離れていったんだろうなぁ。

さて、今回の最新作はピカチュウとサトシの出会いの話です。いやいや、そんなもん20年前にポケモン第1話で見たわ、という方はご名答。今回の副題にもなっている「きみに決めた!」とは、実はポケモン第1話のタイトルなのです。

ネタバレしまくりながら、好き勝手書こうと思いますので、もし読みたくない方はこの時点で「戻る」をして頂ければと思います(笑)

 

 

さて、今回はポケモン20周年を記念した作品です。僕が23歳なので、まさにポケモンと共に歩んできたと行っても過言ではない人生ですね…。

監督は湯山邦彦という方で、初めて知ったのですが、これまでの劇場版20作品全てを担当されているそうです。

湯山監督にとっても、相当思い入れが強い『ポケモン』という概念と、そして最初期を知っている20代〜30代のポケモンど真ん中世代に対する、湯山監督なりのアンサーをみた気がした作品でした。

劇場版ポケモン、第一作目のミュウツーも到底子供向けとは思えないメッセージ性を持っていたが、今回も凄かったです。

今回の主役は、20年前の伏線回収。

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ポケモン第1話を何度かご覧になった方は、ポケモン金銀が出た時に『アイツ』が登場した時に歓喜したのではないでしょうか。そう、ホウオウです。

これまで、第1話で登場した、にも関わらず初期の赤・青・緑(そして黄)版では一切登場しなかったホウオウ。これまで映画が何本も作られたにも関わらず触れられてこなかった、ホウオウ。

そんなホウオウとの再開、そしてバトル、伏線の回収が一番の見所となっています。

 

(参考)こいつですね。名前も知らなかった伝説のポケモン

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映画版とアニメ版はパラレルワールド

アニメ版第1話、サトシは寝坊してしまい、ヒトカゲゼニガメフシギダネを貰うことが出来なくなってしまいます。そこ仕方なくオーキド博士が出してくるのが、言うことを聞いてくれない反抗的なピカチュウなのです。

実は円満とは言えない出会いだったわけですね。

今回は映画版であることから色々カットされているものの、第一話のストーリーをなぞるようにストーリーは進んでいきます。

なつかないピカチュウと共に旅に出発し、ポッポを捕まえるつもりだったのですが、オニスズメを怒らせてしまい、ボロボロのピカチュウと共にサトシが逃げるシーン。

「あーあったなぁ」と懐かしくなるシーンが満載でした。

しかし、要所要所ストーリーが変わっています。っていうかめちゃくちゃ変わっています。以下、大きい2つの変化がありました。

 

まず、共に旅をする登場人物がタケシ・カスミではありません。

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全ての世代が「誰おまえ」となる、奇妙な新メンバー。現代風の絵柄。しかも、ピカチュウとの出会いに関わってる風に描かれています。

これは、明らかにストーリーを上書きしています。なんていうか、ミスリード?(たぶん誤用)。僕自身抵抗感もありましたし、演出の意味がわかりません。なんとなく、「これは君が知ってるポケモンじゃないよ」と言われているような気分でした。

 

2つ目は、なんか知ってるんだけどそんなストーリーだっけ?という変化。(わかりづらいですね)

バタフリーとピンクバタフリーの出会いと別れ、リザードンの相棒化、など、初期の印象的なストーリーがショートカットで進んでいきます。が、全体的になんとなくストーリーが違います。

こういった、懐かしいシーンの数々には「おお!」と思うのですが、ストーリーが僕が知っているものではなく、こちらも「僕が知っているポケモンのようで、そうではない何か」という感じの、まさしくパラレルワールドに来てしまったような感覚を覚えました。

なんだか間違った知識を子どもたちにいれているようにも思えてしまうのですが、今の子供達やポケモンGOからポケモンを開始した人から見ても矛盾がないような作りになっているのかもしれません。

ポケモン』という作品のタブーを犯した

さて、そんな風に初期のポケモンからかなりズレズレのストーリーが展開されて、困惑してしまっていたのですが、それだけではなくこの作品ではアニメや映画ではしなかった2つのタブーを監督は犯してきます。

1つは、ピカチュウに日本語を喋らせる、ということです。

ゲームやマンガなどでは度々日本語を喋るピカチュウは散見されました。

しかし、アニメ版では飽くまでも「ピカピーー!(さとしー!)」や、「ピカ!(うん!)」など、様々な表現をあくまでピカチュウ語で切り抜けていたように思います。

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しかし、今回ピカチュウは、マーシャドー戦において、サトシがピカチュウ!お前がモンスターボールに入れられるのが嫌なのは知っているけれど、お前だけでも助かるために頼むから入ってくれ。」ということを問訪ねたシーンにおいて、

ピカチュウ「君とずっと一緒にいたいんだ」とサトシに日本語で語りかけてきます。

思わず、「ええええ!ついに、喋っちゃうの!?」と驚いてしまいました。良くも悪くも違和感がすごいので、見どころかもしれません。

ちなみに御存知の通り、ニャースやエンティ、ルギア、ミュウツーなどは既に日本語しゃべっているので、タブーというのはいいすぎかもしれませんが…。

(参考)マーシャドーは恒例の山寺先生が声優でした。気づかなかった。

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2つ目は、ポケモンが居ない現実世界を描いた事。

あくまでアニメである限り、そして示唆にとんだ大人向けアニメ映画出ない限り、「バーチャルはバーチャル」と割り切ってしまうのが普通です。少なくとも、例えばポケモンにおいて、ポケモンが居ない普通の世界、が描かれることって無かったと思います。

 

しかし、今回はそこを描いてきます。サトシが夢を見るのです。

そこはポケモンが居ない世界。サトシの部屋には、ポケモンのポスターの代わりに車のポスターが飾ってあります。朝寝坊して、小学校へ行き、友人(ソウジとマコト)とふつうに話し、先生が登場し、虹の原理に関する授業を受けるのです。

休み時間になり、小学校の屋上から外を見るサトシがふと、

「この外はどんな世界があるんだろう?」と二人に問いかけます。

ものしりなソウジは「山と川と、そして街があるんだ」と答えます。

サトシは「その先には何があるの?」と尋ねます。

ソウジは「うーん、山と川と、そして街があるんじゃないかな」といい、呆れたようにマコトは「きっと同じ事の繰り返しよ」というのです。

ポケモンには不似合いなシーンでしたが、なんとなく納得感がある言葉でした。大人たちが愚痴を吐くように言うことと同じ。それは単純に地形の話ではないのです。

小学校・中学校・高校、そういった「学校」はつまらない。だからポケモンをして色んな世界に旅立つ主人公の気持ちを味わったりしてきました。そうして「学校」の外へ頑張って旅出して、社会に出ても、毎日の生活は「きっと同じ事の繰り返し」でしかないのかもしれません。なんだか鬱になりそうですね(笑)

それを聞いてサトシは応えます。

「それでも、俺は行ってみたい。アイツがいれば、アイツと一緒ならどこにでも行けるんだ。」というのです。しかし、この世界ではピカチュウという単語も、ピカチュウの事も思い出せません。

もちろん、アイツとはピカチュウ、あるいはポケモンのことです。

ピカチュウとはなんのことを指していたのでしょうか。かっこよくいえば、何のメタファーなのでしょうか。『夢』とか『友達』とか『やりたいこと』とか『ほしいもの』とか、そういう風なものに聞こえます。つまるところ、僕は『子供の時に大切だったもの』だと受け取りました。

ピカチュウを含め、子供の頃に大好きだった『アイツ』は頭の片隅に追いやられているのかもしれません。『アイツ』がいればどこへでもいけるのに、どうしても思い出せなくなっている人もいるかもしれません。

そして、この嫌な夢は醒めます。

ポケモンの現実世界、つまりポケモンが居る世界に戻ってくるのです。

 

サトシがポケモンを忘れちゃう夢を見たんだ、というとマコトは「ポケモンが見えなくなるなんて、夢でもそんなの絶対イヤ!」といいます。なんだか色んな示唆が得られる世界観でした。

その他の印象的なシーン

■ソウジのポケモンの死

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ルカリオではなく、幼少期にソウジはレントラーというポケモンを亡くしています。理由は、両親が忙しく、いつも僕と遊んでくれていたのはポケモンだった、と。そして、ある吹雪の日、ソウジを守るようにしてレントラーは凍死するのです。何故かこの、両親が忙しくていつも遊んでくれるのはポケモンだった、という言葉が、そういう境遇の子供も多かったような気がして印象的でした。

 

■博士の言葉

ホウオウを追い求めるボンジイという博士が出てくる。

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ホウオウを見たサトシを「虹の勇者」と呼びます。恐らく、サトシ=虹の勇者=映画を見ている僕達、なのです。いろいろと助言をしてくれるのだが、何故か最期に「虹の勇者、生きろ」と声をかけます。ストーリの中で、そんなこと言う必要は無い気がしました。というか、サトシに「生きろ」ってポケモンマスターを目指す10歳には重々しい言葉なきがするのですがどうでしょう(笑)

それでもこの言葉を選んだのは、つまり、映画を見ている僕達に向けたメッセージなのかな、と受け取りました。

■不遇なライコウ

http://www.pokemon.co.jp/ex/oras/feature/img/page41/poke01/img_01.png

(引用元)http://www.pokemon.co.jp/ex/oras/feature/img/page41/poke01/img_01.png

 ホウオウが出るということもあり、エンテイスイクンライコウは切っても切れません。エンティはもちろん映画の主人公になり、スイクンは確か映画にも出たし、アニメのOPにも登場しました。しかし、ライコウはアニメの番外編を作ってもらっただけだったはず・・・。

そして今回も同様、なんか一瞬いたかな?くらいの登場でした。謎のライコウいじめ。確かに人気は無さそうだが、もう少し平等に扱ってほしいと思いました。

(参考1)鈴の塔があって焼けた時に体が残ってたポケモ... - Yahoo!知恵袋

(参考2)ポケットモンスタークリスタル ライコウ雷の伝説 - Wikipedia

まとめ

今回、映画を見てポケモンから貰ったメッセージは『再開と決別』です。

まず、再開の点ですが、もちろん本家のアニメストーリーとは違うものの、非常に工夫されて想い出が蘇るように印象的なシーンが組まれていました。さらに、印象的なポケモンが恐らく一通り登場しており、凄く懐かしく、まさにポケモンたちと大人が久々に再開した場となりました。

そうしてポケモンと再開したわけですが、いつもポケットに入れていたはずの『ピカチュウ』=『アイツ』を忘れていたことを咎められてしまいます。あんなに大好きだったはずのポケモンのことを、今きみはどうしているんだい?と。

そして全体を通して、もうアニメとしてのポケモンは「君が知っているポケモンとは違うんだ」「ホウオウの事も終わったし、君らとの関係も終わりだ」と言われた気がしました。もちろん、ピカチュウやサトシの存在は変わらないのですが、どこかで少しずつズレてきたのでしょう。僕達世代とポケットモンスターは。

エンディングの歌の時に、カスミ・タケシ・ケンジ・ハルカなど超懐かしい面々が登場します。

しかし、昔の登場人物は「あんた誰?」みたいな顔をしてきます。まじです。一方、最近のブラックアンドホワイト、エックスアンドワイ、等の登場人物は笑顔で微笑みかけてきます。誰に?当然今の子どもたちに向けてです。

改めて、20年前に見ていたアニメと、今のポケモンアニメは違うんだと言われた気がしました。

つまり、今回の20年目の劇場版ポケモンによって、監督は『アニメとしてのポケモンはもう君達向けの作品ではない』ということを改めて突きつけてきました。

だけど、概念としてのポケモン(つまり『アイツ』=『子供の時大切だったもの』)を忘れないでほしい。そんなメッセージを受けた気がしました。

ネタバレ満載で、もしまだ見ていなかった人が読まれたら申し訳ない気持ちでいっぱいではございますが、ぜひ一度見ていただいて、どんな感想を持ったのか聞かせてほしいなーと思っています。ではでは〜