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ホソダユウヘイのブログです。18時頃更新します。

やきとりは何故美味いのか?

 

やきとりという食物がある。なぜだか超絶うまい。

 

なんと、農林水産省の調査(日本人の味覚と嗜好:農林水産省)では、「1位刺身 2位焼き肉 3位すき焼き 4位ギョーザ 5位焼き鳥」と超絶好成績だ。

 

コンビニでも焼き鳥を販売し始め、ファミリーマートでは1億本が売れたそうだ。

今最も勢いがある居酒屋といえば、”鳥貴族”だと誰もが答えるだろう。

 

なぜこんなにも「焼き鳥」は美味いのか。

そもそもどうして、「焼き鳥」というのだろう。

 

「焼き鳥」への疑問は付きない。

 

http://01.gatag.net/img/201504/16l/gatag-00001503.jpg

 

「焼き鳥」という言葉

 

英語にすれば、”grilled chicken”となってしまい、まったくイメージが違う。

どちらかと言えば”BBQ Chicken ”のほうが近いが、それもまた違う感じがする。

 

"Sweet Soy souce BBQ Chicken"なんて言われてもわけがわからない。

"YAKITORI"というしかないだろう。わからんけど。

 

また、豚肉を「焼き鳥」のような串焼きにした場合は、

「やきとん」と多くの場合ひらがなで書かれるのも面白いし、

牛肉となると、とたんに「牛串」となるのも面白い。

 

先日、『日本語は何故、どこが難しいのか』という記事を読んで、

日本語が英語圏の人にとっては最高難易度の言語として選ばれたのを見て、面白いなぁと思ったのだが、「焼き鳥」も完全な理解をすることができないことばの一つだ。

 

焼き鳥の歴史

wikipediaには、焼鳥の歴史を平安時代から書かれている。

平安時代の『類聚雑要抄』には、餐宴の料理として「鳥焼物」が記載されている。中世の『包丁聞書』には、「鶉のやき鳥には、両羽を切り広げ、其上に檜葉を置盛也、是を葉改敷といふ也」と記述されている。

焼き鳥 - Wikipedia

 なんと昔から、”餐宴の料理”だったのだというから面白い。

 

とはいえ、もともとは「串焼き」と「焼き鳥」は別物。

つまり、現代流の「焼き鳥」は山賊料理的な形が発祥のほうがイメージが近い。

あぶり焼きという方法は、山野で得た獲物を食べるには都合の良い方法であり、古来から行われている。しかし、丸焼きでは調理に時間が掛かると共に、その大きさや骨のために食べにくく、現代の料理店では、肉を小さく切って串に刺す方法が多くとられている。 

Cf.「山賊焼き」という、大きめの焼き鳥料理もある。味はもう少しスパイシーな印象。

 

歴史は飛ぶが、江戸時代には、ほぼ現代の焼き鳥レシピが完成しているようだ。

赤字部分のレシピは、今読んでもよだれが出そうな書きっぷりだ。

・1643年の料理本『料理物語』に鳥料理があり、その中に焼き鳥の文字が見える。山鳥(やまどり)・鸞(ばん)・鴫(しぎ)などであり、鶏(にわとり)は「煎り鳥」に調理されたが、鳥類の多くは串焼きとされていた[3]。

・1674年の『江戸料理集』には「焼鳥には鴫類、うずら、ひばり、小鳥類、雉子、山鳥、ひよ鳥、つぐみ、雀、鷺類、鳩、けり、鷭(ばん)」と、「各種の焼き鳥」について言及されている。

・1682年頃の『合類日用料理抄』では焼き鳥の「調理方法」が記載されており、鳥を串に刺し、薄霜ほどに塩をふりかけ焼き申し候。よく焼き申し時分、醤油の中へ酒を少加え、右の焼鳥をつけ、又一変つけて其の醤油の乾かぬ内に座敷へ出し申し候と記述されている。 

 

醤油の乾かぬ内に座敷へ出し申し候…。

テラテラとした鶏肉の焼かれっぷりが目に浮かぶ。

さぞ、うまかったろう。

 

鶏肉の歴史

『全や連』。つまり『全国焼き鳥連合』という組織が世の中にはあるらしい。

彼らのHPでも「焼き鳥」の歴史が解説されている。

 

こちらで驚いたのは中央政府としては鶏肉を食うことを全面禁止していたことだ。

 

天武4年(676)天武天皇より「牛、馬、犬、猿、鶏の宍(しし=肉)を食うこと莫(な)かれ」という詔が出された。(中略)牛や馬は農耕などの苦役に活用され、犬は家を守る。鶏は刻を告げる鳥として飼育されていた。猿は飼育されてはいないが、人間に近く親しまれてきた動物である。

日本最古の仏教説話集『日本霊異記には「常に鶏の卵を煮て食いて、現に悪死の報いを得る縁」という章がある。「善悪因果教に云わく『今身に鶏の子を焼き煮る者は、死して灰河地獄に堕つ』というは、これを謂うなり」 

https://zenyaren.jp/fun/encyclopedia/history/

 

では、それがいつまで続いたのか?

なんど江戸時代の有名な生類憐れみの令周辺まで、こういった傾向は強かったようだ。もちろん、人々の生活の中でときたま食されることはあったのだろうけど、基本的には食肉文化が日本人にはない。歴史上は、国民総ベジタリアンの時代が長いのだ。

・秀吉、家康はキリシタン禁止令を出し、弾圧の大きな理由として「牛肉食の慣行」を挙げています。江戸時代は石高制社会として米を至上のものと位置づけ、殺生、肉食を排除する平和な世界を築きあげました。徳川幕府は牛馬屠畜禁止令や肉食禁止令を出しています。江戸時代の反肉食文化の極限が元禄社会であり、徳川綱吉の「生類憐れみ」の政策です。

肉食禁止の歴史 | Merzbow Official Site 

 

一気にこれらの政策・風潮を消し飛ばしたのが『開国』。

国家の西洋化に向けて、『肉食』を急に始めた国ニッポン。

・その後、日本では幕末の開国によって一挙に肉食が推奨されることになりました。薩摩藩では昔から豚を食べる習俗があったと言われています。西郷隆盛は狩りが好きでしたし、血に飢えた幕末の志士達の多くは、肉食については積極的でした。草間俊郎『ヨコハマ洋食文化事始め』(雄山閣)などを参考に、幕末の肉の許容の有り様をみてみましょう。黒船の船内では、生きた牛、羊、鶏、七面鳥などを飼っており、料理の度に殺して食べていたようです。ペリーは幕府の役人を招いて肉料理を食べさせました。

・一八六七年には、中川嘉兵衛という日本人の経営する食肉屋が誕生しています。公式には一八七一年(明治四年)に、明治天皇みずからが牛肉を食べて肉食を解禁したとされています。しかし、正式に古来の「肉食禁止令」を破棄するという詔勅が出たという記録はないようです。つまり、日本政府の方針として西洋化を推進するために肉食が推奨されたのでした。 

肉食禁止の歴史 | Merzbow Official Site

 

案外、最近になって日本は肉を食べ始めたらしい。

 

現代の焼鳥へ

ただ、これらの焼き鳥は、”貴族の食べ物”、的な傾向が強く、

明治時代に流行った”焼き鳥”も、スキヤキ以上の高級品としての焼鳥だ。

 

※もしかして、『鳥貴族』の名前の由来はもともと貴族料理だから?

 

現代の、庶民的な焼鳥はどこで完成されたのだろうか。

それは、関東大震災や戦後の”屋台”だ。

大正十二年(1923)に関東大震災が起こると、焼鳥の屋台が東京のあちこちに誕生した。屠殺場から出る内臓を貰い受け、豚の内臓を使った「焼とん」が人気を集めている。昭和初期になると、鶏肉を使った高額の焼鳥も誕生した。

それらの中には、鶏鍋を中心とする料理屋が焼鳥屋へと転身をはかった店もある。敗戦後、闇市にやきとりの屋台が登場した。代用の醤油や砂糖に代わるサッカリンなどでつくられたタレで焼かれたやきとりは、飢えていた人々の胃袋と心を満たしていった。

日本は戦災から次第に復興していき、やきとり店は屋台から固定店鋪へと移っていった。焼鳥の大衆化がはじまったのは昭和三十年代に登場した食肉用ブロイラー普及の影響が著しい。鶏の価格が安くなり、身近な食材となったためである。この頃から、大衆焼鳥店が多く登場してくる。サラリーマンが会社帰りに立ち寄る場所として駅の近くに焼鳥屋が目立つようになる。

https://zenyaren.jp/fun/encyclopedia/history/

 

うむうむ。これこそ我らが飲み屋街の”焼き鳥”で申し候。

ブロイラーは何かと批判されがちだが、焼き鳥文化には欠かせないイノベーションだったのだ。

 

 

あれ?

 

振り返ってみたが、焼鳥がなぜ美味いかわからなかった…。

 

もう少し詳しく”焼き鳥”について知りたいので、なにかオススメの味覚に関する論文や、歴史上の面白いことがあったらぜひコメントなどで教えて欲しい。

 

あの串に挿して食う、という点と、ムシャムシャ食べる美味さ、は

なんなのだろう・・・(´・ω・`)